第30話 竹中半兵衛|コラム 先人に学ぶ

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蔵人会計事務所HOME > コラム 先人に学ぶ > 第30話 竹中半兵衛

第30話 竹中半兵衛

1.竹中半兵衛の生まれた美濃の国

岐阜県垂井町にある銅像 竹中半兵衛重治は、1544年斉藤道三に仕える竹中遠江守重元の嫡男として美濃の国に生まれました。美濃の国は、織田信長の治めていた尾張の国の隣接国で、斉藤道三は信長の父の織田信秀と再三にわたり戦いをした武将です。

美濃の国は、名族の土岐氏であることに胡坐をかいていた当主土岐頼芸が治めておりましたが、他国の侵略が当たり前の戦国時代に突入し、土岐頼芸にリーダーシップが無いことが皆の不安と不満になりつつある状況を敏感に察知した道三が、頼芸を追い出して政権を奪取した土地でした。
道三は、頼芸追放の時に頼芸の子を養子として育てます。それが長じて斉藤義龍となります。この義龍は頼芸の血が流れているせいか愚鈍な人間であり、道三は美濃を守りきることは出来ないと踏んでいました。その為、道三は隣国の織田信長と接近し、娘を嫁がせ関係を保ちますが、このような道三の行為が、すべて気の小さい義龍には疑心暗鬼として捉えられており、養父である道三との戦いとなりました。 結果、美濃の国は、道三を攻め滅ぼした義龍が治めることになります。

2.主君「斉藤龍興」

道三を攻め滅ぼした義龍に対しては、隣国の織田信長が、再三にわたり攻撃を仕掛けてきますが、難攻不落の稲葉山城を居城に持つ斉藤義龍を織田信長は攻めきれません。その後、1561年に義龍が死去すると、家督を義龍の子、龍興が継ぎます。この斉藤龍興は生まれながらの殿様であり、部下の協力はあって当然というスタンスです。ところが、部下からすれば、皆の不満(美濃領内で戦いを無くし田畑を荒らさない、撃退戦に勝っても何ら恩賞がもらえないという不満)を解消しないのであれば、何のために命をかけたのだか‥と考えざるを得ません。織田軍の攻撃に対し、何ら抜本的な対策が打てず、無為に日々を過ごす殿様龍興に対しての不満が日に日に重くなっていきます。

3.竹中半兵衛のクーデター(稲葉山城占拠)

そんなある日、稲葉山城に登城した竹中半兵衛は、少ない供回り(16人と言われています)を率い、稲葉山城を占拠してしまいます。ところが、その後、龍興が半兵衛の意見を聞きいれると、あっさりと稲葉山城を龍興に開放し、自らは責任を取って城地を捨て、草庵に篭ってしまいます。

4.竹中半兵衛の成功の本質

このクーデターの後、半兵衛は大したお咎めも無く、美濃の国が信長の支配下になった後に、秀吉の軍師として活躍します。下剋上の世の中、半兵衛の鮮やかなクーデターが話題になった一方、これを何の見返りも無く返上した無欲さに皆が惚れた結果の栄達でした。勿論、本人も栄達を望んでいたかは疑問ではありますが‥

人間は兎角、見返りを求めがちなものです。しかし半兵衛の栄達は、見返りを求めない行為の結果です。「儲けるためにこれをする」ではなく、「あらねばならないことを実現する。それを維持するためには採算を合わせておかないといけない」という順序で発想をすることが大事なのです。

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