第5話 斉藤道三に学ぶ
「美濃のマムシ」と恐れられ、天下の「梟雄(悪逆非道な英雄)」として知られる「斉藤 道三」。彼はまさに、戦国時代における「下克上(下の者が目上の人を討ってのし上がる事)」の代名詞と言える人物です。一介の油商人から、一国一城の主にまで登りつめた斉藤 道三は、まさに戦国時代を象徴する1人であるとも言えるでしょう。
1.僧侶から油売りに転進
若い頃、彼がどこで何をしていたのかはイマイチはっきりしていません。彼は元々、京都にある「妙覚寺」という寺で修行していたと言われていますが、僧侶だったのは彼の父であると言う説もあります。いずれにせよ、彼はその後 京都から「美濃(現在の岐阜県)」に渡り、量り売りの油商人となっています。彼は一文銭の中央にある穴を通して油を注ぎ、もし穴から油がそれたらそれをタダにするという街頭パフォーマンスをしながら油を売って、人気者になりました。
2.油売りから武士に転進
その後、僧侶時代のツテもあって美濃の有力者の1人 「長井家」 に仕官、そこからさらに長井氏に紹介されて、その主人の「土岐 頼芸」に仕える事になります。 当時、美濃は「土岐家」という大名が支配しており、「土岐 頼芸」はその一族の1人でした。
3.立身出世を繰り返し大名へ
元々彼(道三)は何をやっても器用な人だったらしく、しかも頭が切れ、仕事も遊びも達者で人間的な魅力に溢れていたといいます。すぐに彼は土岐 頼芸の一番お気に入りの家臣となり、妻として頼芸の側室を与えられるほど信頼される事となります。
しかし、彼の主人の「土岐 頼芸」は、実は美濃の大名であった「土岐 政頼」とは不仲でした。そこで彼は頼芸を言葉巧みに誘導し、そして 1527年、頼芸と共にクーデターを実行します!土岐 政頼の城を夜襲で一気に襲い、大名だった政頼を追放!こうして土岐 頼芸は美濃の大名となり、若い頃の道三も土岐家の一番の家臣となります。
ですが、こうした彼(道三)のやり方と急激な台頭について、他の家臣たちの多くがあまりよく思っておらず、彼を土岐頼芸に紹介した 長井氏 も、彼の専横を疎ましく思うようになります。そこで彼はかつての恩人である長井氏を殺害、そして長井家を乗っ取り、「長井(新九郎)規秀」と名乗って長井家の城「稲葉山城」を居城とします。
さらに敵対勢力を、ある時は非道な謀略で、またある時は巧みな和解交渉で交わしつつ、一方で「稲葉 一徹」や「安藤 守就」といった有力な豪族(地元の権力者)を味方に引き入れ、力を蓄えます。そして、元々美濃の守護職(美濃を統治する役職)にあった「斉藤家」の家を継いで「斉藤氏」となり、ついに 1538年、クーデターを実行して主人である土岐 頼芸の城を襲い、頼芸をも追放しています。こうして、彼は美濃の国を奪取し、ここに一国一城の戦国大名にのし上がることになります。美濃の国を得た斉藤 道三は、街道の整備や「楽市楽座」(税金なしでどこでも自由に露店が開けるようにする法令。要するにフリーマーケット)などを実行、これらにより美濃の城下町は商業的に大きく発展していくことになります。
4.道三の軌跡
- 街頭パフォーマンスをしながら油を売って、人気者になる。
- 『土岐 頼芸』の一番お気に入りの家臣となる。
- 「稲葉一徹」や「安藤守就」といった有力な豪族(地元の権力者)を味方に引き入れる。
彼のエピソードの共通点は、人を惹きつけることです。エピソードから考えると領地を乗っ取った盗人と思 う人がいるかも知れませんが、時代は戦国時代です。
強くて領民想いの城主がいなければ、田畑は荒れ領民は飢えます。そこを憂う道三の想いが純粋だったからこそ 道三の魅力に人が惹きつけられたのではないでしょうか。
現代も戦国時代、純粋に何かを改革できる良きリーダーの出現が望まれます。