第29話 前田利家|コラム 先人に学ぶ

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第29話 前田利家

1.前田利家とは

江戸時代終了まで続く前田家(加賀百万石)の藩祖といわれる前田利家は天文7年(1538)に生まれ、14歳のとき織田信長に仕えました。21歳のとき、大河ドラマの主人公にもなった9歳下の「まつ」と結婚。この頃、又左衛門利家(またざえもんとしいえ)と名を改めています。若年の頃は派手で、奇抜な振舞いを好み、武勇にも優れ「槍の又左」と呼ばれました。 各地を転戦していた利家は、32歳のとき、信長の命で荒子城主となります。北陸戦略に従い柴田勝家の与力として従軍、さらに石山本願寺戦にも参戦、武田騎馬軍団を粉砕した長篠の合戦では鉄砲隊を指揮しています。その後、府中(福井県武生市)を他の武将とともに治め、のち能登一国を領有します。 本能寺の変後の賎ヶ岳の戦いでは柴田勝家側として参戦しましたが、戦わずして戦線離脱し、秀吉に命を救われます。 他人に慕われる人望であったこともあり、秀吉が重用し、加賀百万石の基礎を築きあげました。

2.成功の本質

利家の成功の本質は、大河ドラマの山内一豊と等しく、時代に乗ったことです。当時の時代背景としては、以下のような要素が挙げられます。

  • 秀吉の子飼いの武将が少なかった。 賤ケ岳七本槍等と子飼いの武将を大きく表に宣伝をしたものの、歴戦の武将と比してまだまだ粒が小さく、歴戦の武将を秀吉の側近として迎える必要がありました。また、その人物は秀吉の政権を脅かすほどの実力は兼ね備えていなかったことが重要な要素でした。
  • 織田家の政権を下剋上で掠め取ったことに内部から不満が出ていた。 佐々成政は秀吉に敵対し、徳川家康と組み秀吉に挑戦してきます。このような不満の種を潰すためには、織田家歴戦の士を重臣として迎える必要がありました。
  • 日本全国を支配しているわけではなく、遠国に有力な大名が控えていた。 秀吉の政権は東に徳川、北条、北に上杉、西には毛利、長宗我部 や島津等の有力な大名が控えていました。内部の揉め事を最小限に食い止め、遠くの敵を平定しなければならない状況下でありました(事実、その後、家康には平和裏に事を進めますが、北条や長宗我部 に対しては、戦いで望んでいます)。近い敵には手を結び、遠い敵は平定して行ったのです。

このような時代のめぐり合わせが、利家を加賀100万石の太守としましたが、本人にも幸運を掴む才能がありました。時代(秀吉)が欲した人物となったことが最大の要因です。 組織の中では、実力があっても不遇な人は沢山います。しかしそれは不遇ではなく、組織が何を欲しているかということを思考することが欠けていると考えられるのではないでしょうか。 組織の望む人物になれば利家のように未来が開けてくることでしょう。

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